自分の金で食う飯と、他人の金で食う飯と、どちらがうまいのか
僕27歳の全財産は2万円。他人の貯金で生き延びるという信念を持っているからです - ピピピピピがブログを書きますよ。
この手の記事はしばしばあるが、私は、自分の金で食う飯のほうが美味いと感じる。
これまで、自分の金、他人の金、どちらの飯をも幾千食べてきた感想である。他人の金だと遠慮してしまって心底楽しめないし、店が選べない事も多い。遠慮で喉の通りの悪いうえに、不味い店だったらもう食う価値もないほどに最低である。対して、自分の金でならすべてがほしいままである。クソ高いのでとても他人にはおいそれとたかれない美味い寿司屋で大将にその日のいいネタをおまかせで握ってもらいながら美味い酒なんか飲んでると、なにやら万能感みたいなものが湧いてきてさらに美味しく感じる。誰の顔色も伺わずにケロッとした顔で5万のワインを「ください」と言えるのは実に清々しい。
時折見る「他人の金で食う飯のほうが美味い」記事について、捻くれた精神構造を持つ低所得者や社会の底辺層の人間ほどそう感じる傾向があるように見えるが、ろくな稼ぎもなければ、クソ高くて美味い飯を自腹で食ったこともない貧乏人はそもそも「自分で稼いだ金で食う美味い飯」の存在を知らないので、自分の金で食う飯が美味いと思えないのは致し方ない事だし、そこにさらに件の記事で論じられている「他人が汗水垂らして苦しんだ飯ほど美味い」という捻くれた感情が上乗せされて、結果「他人の金で食う飯のほうが美味い」と結論づけられてしまうであろうことは否定しようがない。
しかしながら、これらの多くは「自分で稼いだ金でのびのびと食うクソ美味い飯」を知らない状態での話であるので、適正な比較とは言えないと思う。確かに他人の金で食う飯はそこそこ美味い。しかしながら、自分の金で食う飯はもっと美味いのだ。それを知らない状態で「他人の金で食う飯は美味い!!!」と叫ぶさまは完全に井の中の蛙である。
こういう人が、今後の社会経験の増加とともに、より多くの未だ体験したことのない素晴らしいクオリアを得ることを願うばかりであるが、もし彼が現状を幸せと感じているのなら、それも要らぬお節介かもしれないとも思ったり。