美味い寿司を食ったことのない人間にその味を説明してみろ
ファッションっていうのはクオリアなんです。
「この服がイケてるなーダサいなー」「この服とこの服が合う」とかそういうの、クオリアを持っている人間にはわかりますが、経験したことのない人間にはおよそ見当もつかないものです。文字を読むことはできても、理解できないのです。だから、あまねくダサ服キモオタへのアドバイス記事はおしなべて無意味なのです。ダサ服キモオタがただ一つオシャレになる方法は、友達に服を見たててもらい、自分で服を買い、試行錯誤することです。あらゆるハウツーは無意味です。
ファッションとは価値観の問題です。ダサ服キモオタに「かっこいい服ってどんなの?」「どういうファッションが好み?」と聞いてみてください。誰も答えられません。たまにすげーダサい厨二ファッションが好きなダサ服キモオタがいますが、実はそちらのほうが幾分マシなのです。自分の価値観を持っているからです。彼らはどこかで自分がダサいことに気づいて次元上昇するか、あるいは一生気付かず永遠にダサい厨二ファッションを続けますが、どちらの彼らもよいのです、彼らは幸せにファッションを楽しんでいます。他人の反応に差はあるでしょうが、とりあえず彼らはファッションのクオリアを知っています。
ファッションとは価値観の問題なので、なにがイケててなにがダサいのか主観的に判断できない人間には、「ファッションを行うこと」ができません。主観的な判断力とは、なぜイケてるのか、なぜダサいのか、を自分で分析して具体的に説明できる能力です。ダサ服キモオタにこれができる人はいません。
しかしながら、ダサ服キモオタが一生ファッションを楽しめないかというとそうではありません。たとえばアニオタはアニメの良し悪しを自分の主観で判断してそのクールの取捨選択をしていると思います。世に溢れる服のどれを自分が着るかというのは、深夜に溢れるアニメのどれを見るか取捨選択する作業に似ています。アニメを取捨選択したクソアニオタは、必ず、なぜこのアニメを見ることにしたのか熱弁を振るうことができると思います。良いアニメと自分が思っているそれを、どう説明したら他人に布教できるか考えていると思います。ファッションも一緒です。なぜこの服を俺は着るのか、どこがイケてるポイントなのかが説明できて初めてファッションなのです。
オカンの買ってきた服を20年間きているクソキモオタというのは、ご飯どきに放映されている日本むかしばなしやワンピースやドラエモンやサザエさんなんかをなんとなく散漫に見てきた非アニオタの一般人とほぼほぼ同じです。クソキモオタが服を着ているように、非オタの一般人もアニメは見ています。しかしそこに主観的な価値観は存在しません。非オタの一般人が「好きなアニメですか? ワンピースです」と言ってアニオタを激怒させるのと、クソキモオタが「服? ユニクロしまむらでいいじゃん」と言って服オタを激怒させるのは全く同じ構造です。
何かをよく知っている人は、世の中には自分の知っているクオリアを持たない人間がごまんといて、彼らに実体験なしにどれだけ法を説いても何の意味もないことをよく知るべきです。
何かをよく知らない人は、そこには自分の想像もつかない素晴らしいクオリアが存在していて、どれだけ本を読もうが、実体験なしにそれを得ることはできないことをよく知るべきです。