きつねこの週刊デイリー寿司ニュース

主に食べたお寿司についてつぶやきます

永遠も半ばを過ぎた

隣にリーはいないが、毎日狭い部屋で背もたれの壊れかけた椅子に座って、17時のパンザマストを聴いている。

前の会社を辞めてから次の会社に行くまでの休養期間三ヶ月のうち半分が過ぎた。

永遠だって半ばを過ぎるのだから、それは三ヶ月とだいたい一緒である。

年金支給が75歳からとか騒いでいるが、我々の世代で年金を貰えると考えている人間など一人もいないだろうから、運良く80歳まで仕事をしながら生きると仮定した場合、残り時間はおおむね600ヶ月だ。今回手にした3ヶ月は、そのうちわずか0.5%でしかない。毎日生活していると3ヶ月というのはなかなか大盛りな感じがするが、私はこれをあと200回繰り返してから死ぬことを目標に生きていかなければいけない。

はてなのクソインテリどもはよく「今の収入でマンションを買えるかどうかではなく、老後どうするかまで考えろ」とか小賢しい事を言っているが、思い上がりも実に甚だしいと思う。

現在の年金制度は100年継続することを目指して設計されたけど、世の中はもっともっとダイナミックだったよね、残念だったね、というお話がある。50年とか100年というのは歴史年表で見てもよいレベルのスパンである。今の自分が見ている景色から演繹して上手くやっていけるようなものであるわけがない。1ヶ月かけて1ヶ月の旅行の準備もままならないのに、50年の計画が立つわけがない。

とりあえず、5年か10年くらいを視野に入れておおざっぱな人生計画を立てているつもりではあるが、それだって怪しいし何が起きてもおかしくないしどうにでもなるので、あくまでおおざっぱでおぼろげなものでしかない。

短期的な悲観視と長期的な楽観視、責任回避と楽しいかどうか、自分の世界が拡がるかどうか、くらいの感覚で日々生きているが、そういう判断基準が大事なのかなあ、と思う。何十年後まで計画を立てたとして、結局のところやることは常に現在の選択の連続なのだ。

退職しました

2014年4月末をもって、丸5年、多大にお世話になった会社を退職しました。

入社以来、通常の保守&新規開発とあわせ、膨大なレガシーコードとDB設計をリファクタリングしました。その点では、会社にはいくらか貢献したと思います。しかしながら、ここ1~2年はまるきり役立たずでした。

私は世に溢れるひどいレガシーコードと比べて少しばかりモダンなコードを書けますが、残念なことにモダンな開発手法をキャッチアップできていません。ここ最近の課題はまさにモダンな開発手法によって解決されるべきことばかりなので、私が役立たずなのも当然です。

自分でもそれなりに足掻きましたが、なかなかうまくいきません。やはり、使いこなしている人に実務を通じて教えて頂くのが最短距離なのでしょう。

それは過去にも経験があって、今の自分のスキルは正にそのおかげなので、私がすべきは一刻も早く次のおかげに寄ることだと思いました。

幸い、条件の合う会社があり、お世話になることにしました。つまり今回の退職は、役立たずが役に立つ人間に生まれ変わるための修行ということです。

役立たずばかりがぶら下がっている会社は潰れるだろうし、役立たずなのに会社にぶら下がり続ける人間はいつか行き場を失うでしょう。もし自分が役立たずなら即座に辞めるべき、と気付くのが2年ほど遅かったのですが、拾う神がいるうちに気付けただけでも良かったかと思います。

何年後か判りませんが、再びお役に立てる日がくるよう、精進したいと思います。ありがとうございました。

 

p.s.非常に不本意なのですが、若干めんどくさい事情があり社名を出せません。辞めた会社はフリーダムな会社なので出しても問題ないのですが、 めんどくさい人が世の中にはいるもんです

 

アナ雪について

ブログ記事の練習がてら。

 

周囲からは賞賛の声を多く聞く。翻って、クリエイターとかインテリ系の友人からの評判はイマイチである。曰く、トナカイとオラフは余計とか。私も、オラフの出たがりにはいささか辟易したし、アナのご都合のよいビッチぶりにはけっこう違和感を覚えた。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。

 

大事なのは、これを見た多くの人が喜んだ、ということである。本作品はあくまで大衆が消費するための商業芸術である。「デートの口実」「家族サービス」「暇潰し」そんな他愛のない理由のために供されるなんらかのモノ、というのがこの作品の第一の本質である。そして結果として、この作品にはその第一の本質は十分備わっていた。

 

しかしながら、当然のごとく商業芸術もまた芸術であるので、芸術としての側面からはけして逃れられない。結局のところ、批判されているのはこの部分についてだと思うのだが、これについても、批判者の意見には概ね同意しつつも、どちらかといえば作品を擁護する側に立ちたい。

 

まず、私が本作に対して非常に好意的なところに、ラストが割といいというものがあって、やはり終わりよければ全て良しというのは伊達じゃねえな、というもの。

 

また、各シーンの画面構成や演出などは本当にクオリティが高くて、これらは全て日本のような属人ノウハウでなく、アメリカ映画の伝統としてきちんと体系化されたノウハウがあり、それに基づいて計算して作られている。つまり、クオリティコントロールがなされているのである。

 

ディズニーの映画は、全世界の大人と子供が楽しめる映画でなくてはならない。ごくごく一部の、物知りを気取った美味しんぼ原作者のようなインテリなどどうでもいいのだ。お話はできるだけ判りやすいシンプルなプロットで、声を聞かなくても文字を見なくても、動く絵を見ればなんとなくお話が判るような画面を作る。音楽はキャッチーでメッセージがよく伝わるように。そしてこれらはすべて結果として成功している。当然、商業作品であるから収支も重要で、無駄にコストをかけることはしてはいけない。

 

一つ考慮するべきなのは、この作品が10年以上かかった末の大変な難産であるということだ。企画は何度も頓挫し、シナリオも幾度となく練り直されたとのことだ。けしてクリエイションが足らなかったのではなく、通常の作品よりもはるかに多くの苦労と調整の結果の着地点が本作なのである。完全に計算された「お前らこんなん好きなんやろ?」が華麗にスマッシュを決めたことに、同じクリエイターとして敬服せざるを得ない。

 

 

 

一泊二日 房総一周ドライブ車中泊旅行に行ってきた(0)

■5/1

・12時出発

・千葉県庁の横通った

・おなか空いたのでにぼとんラーメン食べた

小湊鉄道併走地域が非常に景色がよかった

久留里線併走地域も非常に景色がよかった 無人駅で写真とったりして遊んだ

久留里城址興味深かった

・410号線の山道は前にずーっと車がいて面白くなかった

・館山のスーパー銭湯「里見の湯」は入湯料1580円(フェイスタオルバスタオルバスローブ込み)(17時)

・一五鮨めっちゃ美味しかった(19時)、泊まっていけと言われたが車中泊の練習なので申し訳ないが遠慮する

・道の駅南房パラダイスは閉鎖されていた ruined paradise だった(20時)夜に知らない場所を運転するの怖い 星がすげえキレイだったので車を止めて外に出たら夜の海で普通に怖かった

・仕方が無いので道の駅白浜野島埼に行ったら車がまったく無くて怖かった

・仕方が無いので道の駅ちくら潮風王国に行ったら車はそこそこあったがなんだか居心地が微妙だった

・仕方が無いので道の駅ローズマリー公園に行ったらそこそこ居心地がよさそうだったので寝た(22時)

 

■5/2

・6時起床 概ね快適に寝れたけど足元だけがめちゃくちゃ冷たい 要断熱材敷き詰め

・道の駅鴨川オーシャンパークに行ったら寂れてた トイレ 鴨川はなんにもないっぽかった ラグランジェも失敗しちゃったし

・鯛の浦で海辺散歩 有料駐車場2時間600円で良心的 漁師のお店で朝ご飯(10時くらい)、前日獲りの生ウニ、冷凍の刺身など(きちんと注文しないといけないことを学ぶ)

・守谷海水浴場で砂浜散歩 無駄にエロい銅像 YU-NOの研究所前の背景にそっくり

・かつうら海中公園 今壁が壊れたら溺れて死ぬなーこわいなーとか思いながら海中で揺れる海草を延々見る 海中塔まで行く途中の橋を歩きながら、メガネが落ちたらやだなー、橋が落ちたらやだなーこわいなーみたいな事ばっかり考える

・勝浦城址見学 勝浦城址はぶっちゃけ整備されてる部分には何にも残ってないので周囲の風景が参考になるくらい

旧日本海軍の沖風の慰霊碑があるのを見つける

・このあたりにめちゃくちゃ楽しいワインディングロード

・大原漁港が伊勢海老水揚げ日本一らしいので伊勢エビ一匹まるごと食べる

・暑すぎるので適当に走ってたら見つけたリサイクルショップでLoundryのTシャツ(150円)とサーファーパンツ(250円)を買う

・九十九里ビーチライン、九十九里有料道路を爆走

・片貝漁港で鰯の刺身と蛤の酒蒸しを食べる 我慢できずキリンフリーも飲む

・荻園海水浴場、砂浜まで車で行けるのだが砂浜がハンパなく広く、テールスライドして遊ぶ

・銚子に入ったので、ヒゲタ醤油に見学に行ってついでにさいしこみ醤油でも買おうと思ったら5分遅かった(16時まで)

・しょうがないので飯田酒造場に行ったら見学させてくれて感激 私が一番好きな古酒は途中で発酵の止まってしまった失敗作を放置してたらなんか美味しくなったので出荷してるという代物だった

銚子大橋を渡りたいという理由だけで神栖に突入

・124号の渋滞が酷い

・道なりに行くと石岡に行きそうだったので軌道修正、さらに土浦に行きそうだったので軌道修正

利根川のすぐ北の道を道なりに走っていたがまったく車がなくて感動(利根川の南側の道は普段からけっこう混む)

・家の近所の道のえきしょうなん併設のスーパー銭湯「満天の湯」680円+てぶらセット350円で里見の湯より良心的

・はま寿司でテイクアウトして帰宅して飯田酒造場で買ってきた酒飲んでる

・今

 

■わかったこと

・昼暑くて夜寒いので衣服を幅広く用意 

・地元の漁師がやってる磯料理屋は素材の鮮度はいいが料理についてはほぼ素人なので何を出して貰うかはよく考える必要がある

 

■そのほか

・詳細は気が向いたら順次書く

・写真とかはtwitterにある

メカクシティアクターズと、オタク文化のイオンモール化と、ミームの継承

メカクシティアクターズっていうなんかカゲプロのアニメみたいのがあるらしいので見たんですよ。

 

カゲプロはカゲロウデイズの動画以外なにひとつ知らないし勿論小説も読んでいないので、評判通り全然わからんかった。

わかったことと言えば、Amazonのない世界で、初音ミクみたいな伺かをPCで飼ってるヒキニートの主人公がアキバヨドバシにキーボード買いに行ったら拉致られたことくらい。

 

まあそれはいいとして。

 

ミクっぽい「エネ」ってキャラが、すごくオタサーの姫っぽいと感じたのですよ。

 

「オタサーの姫」については、「キモオタに媚を売って承認欲求を得るオタク女子、と定義しておく。

エネはデスクトップアクセサリーで、ご主人様たるキモオタに媚を売って気に入られる(=ソフトウェアを愛用してもらう)ことが至上命題である。このメンタリティはまさにオタサーの姫そのものであろう。

 

カゲプロはよくある再生産コンテンツで、これらには時代に合わせたネタとか、対象の子供たちが好きそうなものが色んな場所から収集されてちりばめられていて、オタク文化のイオンモールみたいなものとして機能しているんじゃないかと思う。

地方の若者がイオンモールに行って「ああこれが都会の文化なんだ」って思っちゃうように、日本全国のオタクの素養を見せ始めた中高生たちは「ああ、こういうものなんだ」と染まってしまう。

イマイチ冴えないオタク女子がどうにかして男にチヤホヤされたくて参考にするのは、こういった流行ってる作品に出てくる可愛らしい女キャラだろう。

彼女らはきっとエネやモモをベースに、オタサーの姫への階段を上っていく。

 

様々なオタサーの姫たちのステレオタイプとしてメカクシティアクターズのエネやモモが生まれ、それを見た若いオタク女子がそれをベースにオタサーの姫に育つ、というオタク作品の再生産と同時に、オタクユーザーの再生産がこのように行われている。

現役世代のさまざまな作品をベースにしたさまざまな個性のあるオタクミームは、クリエイターによって寄せ集められ、一緒くたにミキサーにかけられ、裏ごしされ、均一化されたペースト状態になって次の世代に配膳される。給食のように。

それを主食として育った次の世代は、その土台の上に個々の個性や感性、さまざまな体験をトッピングする。その結果、次の世代のオタク文化は今の世代とは一定の共通項をもちつつも、また少し違うものになるのかな、などと思った。

 

ちなみに、メカクシティアクターズの作品そのものの感想としては

というかんじでした。

シャフ度もあるよ! 物語シリーズと比べると随分低予算で劣化してる気がするけど多分気のせいだと思います。

 

相対性理論とアインシュタインズの相似性と相違性

車を運転しながらアインシュタインズを聴きながら、彼らがどうやって相対性理論のコピーをしたのかについて考えていた。

初期相対性理論のサウンドは非常にわかりやすい。そこそこのテンポの、耳ざわりのいいバンドサウンドに無表情なウィスパーボイスが乗り、盛り上がってくると軽やかなギターのアルペジオが重ねられる。私はこのギターが好きでライブに行ったところ、すさまじくヘタクソで衝撃を覚えたものだ。当時はそれについて誰かの夢を壊すまいと表では言わなかったが、もういいかげん時間も経って初期理論も終わったことだし、知ってる人は全員知ってることだろうから言ってもいいだろう。

アインシュタインズは「遊び半分で理論っぽい曲を作った」と公言されているとおり、ぱっと聴いただけで「理論っぽい」と思ってしまうほどの巧さなのだが、実際のところ音楽のジャンルは同じではない。

理論がごくごく普通のバンドサウンドなのに対してアインシュタインズはエレクトロであり、いわゆるピコピコサウンドである。楽器はDTMの長所を生かして色々使っているが、音楽的なルーツはピアノのように見える。当然、楽器の構成が違えば曲調だって違ってくる。例えば、理論の真部サウンドでいかにもなドヤ顔をして頻出する主張の強いアルペジオなんかはあんまりなくて、その代わりにアクセントとして装飾的な旋律が色々とちりばめられているように思う。アインシュタインズのほうに、いわゆる「真部節」の特徴はあまり感じられない。ただ、補助的な旋律については理論のクセを踏襲しているな、とは思うが、完全に似せないのは、やはり作曲家としてのプライドとか、完全に似せたら面白くもなんともねーだろ! みたいなものがあるのかもしれない。

私は作曲については全く素人であって知らないことを言うとどうせすぐボロが出るので、曲についての感想はこのへんでやめる。

とにかくこのように、理論とアインシュタインズはボーカルが非常に似ていることと、曲のテンポと耳ざわりのよさ、あとは端々のクセを真似ているくらいでそれほどイコールではないのに、明らかに「理論っぽい」と思ってしまうのはなぜだろう、と思ったわけです。そこで、あと残っているものといったら歌詞か、歌詞だなーと思って歌詞について少し考えてみた。

まず浮かんだのは「日常と非日常」である。理論の曲の歌詞のほとんどは一人称が女の子である。そしてだいたい二人称的な男の子がいて、日常と非日常が入り交じる。それは日常を生活する女の子に男の子が非日常を持ち込んだり、女の子が自ら好きこのんで非日常に踏み込んだりするのであるが、そのどれもで女の子は自分の置かれた環境を客観的に俯瞰している。非日常はおおむね超現実的で、しかしごくごく普通の日常と絡むことで、ファンタジーというよりもマジックリアリズム的な雰囲気を醸し出している。

これはつまり一言でいえば「セカイ系」な世界観なのだけど、理論の歌詞が面白いのは、主人公の女の子は主人公のくせに傍観者ということだ。これはセカイ系の作品ではあまりみられない傍流的な表現だと思う。強いて言えば、ふみふみこ今日マチ子のマンガなどが近いかもしれない。主人公は自らの意思で行動しているにもかかわらず、なんとなく少し引いた視点で特に感情もなくそれを自ら見ている、喩えるならば離人症のような世界観。今日マチ子なんかは作品中にも「リロン」が出てきたり、そもそもまるえつとお友達のようなので、感覚が近いのかもしれない。

アインシュタインズの曲はややもすれば、アインシュタインズというアーティスト名や、いかにも理論っぽい曲名などに目が向くのであるが、歌詞もよく聴けばこれもまた理論とは違った方向性で非常に上手い。

理論の歌詞の巧さが主に意味を中心にした言葉選びの絶妙さや、まるえつ独特の演繹なのであろうお話の進み方として表れているのに対して、アインシュタインズの歌詞の巧さは主に韻の踏みかたや、そのうえで筋の通った歌詞。やはり思考回路のぶっ飛び具合は理論には及ばないのだが、論理的な積み上げで「お前らこんなん好きなんやろ?」というものをぺろっと出すところは、曲もあわせてさすがプロ、というところである。

そしてアインシュタインズは理論とは違う巧さの歌詞の組み立てをしつつも、「離人症的なセカイ系」、なんだか非現実的な非日常が進行しているけれども、なんだか実感が湧かないし、みたいな方向性についてはきちんと踏襲している。

最後にひとつ、多分アルベルト氏はこれは意識していないのではないかと思うが、理論の歌詞の進行はあくまでも与えられた環境に対する主人公の女の子の意思によるもので、それについて色々な感想があり、しかし自分は客観的な立場で見ている、というどこまでも本質的に主観的なものであるのに対して、アインシュタインズの歌詞は「~~~~ということがあるけど、あくまで私には関係ない」ということをいくつかの歌詞で明言しているが、全般的にそのようなスタンスであるように感じる。関係ないのにも関わらず延々とそれについて歌っており、これはつまり本質的には主観的ではない。理論の歌詞で女の子が言う言葉が、あくまで自ら発せられたものであるのに対して、アインシュタインズの曲中におけるヒロインの女の子はなんだか言わされている感がある。歌詞を書いているのが誰かということを考えれば、その原因は容易に想像できる。まるえつにとって歌詞はわがごとであり、アルベルト氏にとっては他人事なのである。アルベルト氏は理論の歌詞の方向性についてまでは難なくキャッチアップできたが、その主体が誰か、ということを投影する段においては、まるえつのようにはいかなかったということだ。このあたり、「自分がやりたい表現をやることしか考えていないナチュラルボーンアーティスト」と職業アーティストの意識の違いがよく表れているのではないかと思う。

 

 

あ、そうそう。アインシュタインズの初アルバム買いました。

http://copipe.theshop.jp/items/425575

そしてまるえつが好きな人はこちらが待ち遠しいですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/TOWN_AGE

真部脩一が好きな人はタルトタタンをどうぞ。

http://www.emission.co.jp/tartetatin_first_album/