永遠も半ばを過ぎた
隣にリーはいないが、毎日狭い部屋で背もたれの壊れかけた椅子に座って、17時のパンザマストを聴いている。
前の会社を辞めてから次の会社に行くまでの休養期間三ヶ月のうち半分が過ぎた。
永遠だって半ばを過ぎるのだから、それは三ヶ月とだいたい一緒である。
年金支給が75歳からとか騒いでいるが、我々の世代で年金を貰えると考えている人間など一人もいないだろうから、運良く80歳まで仕事をしながら生きると仮定した場合、残り時間はおおむね600ヶ月だ。今回手にした3ヶ月は、そのうちわずか0.5%でしかない。毎日生活していると3ヶ月というのはなかなか大盛りな感じがするが、私はこれをあと200回繰り返してから死ぬことを目標に生きていかなければいけない。
はてなのクソインテリどもはよく「今の収入でマンションを買えるかどうかではなく、老後どうするかまで考えろ」とか小賢しい事を言っているが、思い上がりも実に甚だしいと思う。
現在の年金制度は100年継続することを目指して設計されたけど、世の中はもっともっとダイナミックだったよね、残念だったね、というお話がある。50年とか100年というのは歴史年表で見てもよいレベルのスパンである。今の自分が見ている景色から演繹して上手くやっていけるようなものであるわけがない。1ヶ月かけて1ヶ月の旅行の準備もままならないのに、50年の計画が立つわけがない。
とりあえず、5年か10年くらいを視野に入れておおざっぱな人生計画を立てているつもりではあるが、それだって怪しいし何が起きてもおかしくないしどうにでもなるので、あくまでおおざっぱでおぼろげなものでしかない。
短期的な悲観視と長期的な楽観視、責任回避と楽しいかどうか、自分の世界が拡がるかどうか、くらいの感覚で日々生きているが、そういう判断基準が大事なのかなあ、と思う。何十年後まで計画を立てたとして、結局のところやることは常に現在の選択の連続なのだ。