アナ雪について
ブログ記事の練習がてら。
周囲からは賞賛の声を多く聞く。翻って、クリエイターとかインテリ系の友人からの評判はイマイチである。曰く、トナカイとオラフは余計とか。私も、オラフの出たがりにはいささか辟易したし、アナのご都合のよいビッチぶりにはけっこう違和感を覚えた。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。
大事なのは、これを見た多くの人が喜んだ、ということである。本作品はあくまで大衆が消費するための商業芸術である。「デートの口実」「家族サービス」「暇潰し」そんな他愛のない理由のために供されるなんらかのモノ、というのがこの作品の第一の本質である。そして結果として、この作品にはその第一の本質は十分備わっていた。
しかしながら、当然のごとく商業芸術もまた芸術であるので、芸術としての側面からはけして逃れられない。結局のところ、批判されているのはこの部分についてだと思うのだが、これについても、批判者の意見には概ね同意しつつも、どちらかといえば作品を擁護する側に立ちたい。
まず、私が本作に対して非常に好意的なところに、ラストが割といいというものがあって、やはり終わりよければ全て良しというのは伊達じゃねえな、というもの。
また、各シーンの画面構成や演出などは本当にクオリティが高くて、これらは全て日本のような属人ノウハウでなく、アメリカ映画の伝統としてきちんと体系化されたノウハウがあり、それに基づいて計算して作られている。つまり、クオリティコントロールがなされているのである。
ディズニーの映画は、全世界の大人と子供が楽しめる映画でなくてはならない。ごくごく一部の、物知りを気取った美味しんぼ原作者のようなインテリなどどうでもいいのだ。お話はできるだけ判りやすいシンプルなプロットで、声を聞かなくても文字を見なくても、動く絵を見ればなんとなくお話が判るような画面を作る。音楽はキャッチーでメッセージがよく伝わるように。そしてこれらはすべて結果として成功している。当然、商業作品であるから収支も重要で、無駄にコストをかけることはしてはいけない。
一つ考慮するべきなのは、この作品が10年以上かかった末の大変な難産であるということだ。企画は何度も頓挫し、シナリオも幾度となく練り直されたとのことだ。けしてクリエイションが足らなかったのではなく、通常の作品よりもはるかに多くの苦労と調整の結果の着地点が本作なのである。完全に計算された「お前らこんなん好きなんやろ?」が華麗にスマッシュを決めたことに、同じクリエイターとして敬服せざるを得ない。