きつねこの週刊デイリー寿司ニュース

主に食べたお寿司についてつぶやきます

たいこ茶屋の刺身食べ放題ランチ1100円に行ってきた

これです。

 

www.taikochaya.jp

 

前々から気にはなっていたのですが、最近また記事になって目につくようになったので、そろそろ行こうかって思いました。

ということで、プロ厨房の大鳥居さんと行ってきました。なお写真はない。

11:30開始なので11:30に行けばいいだろと思ってたらめちゃくちゃ並んでるでござる。貧乏人多いな。11:30って11:30ですよ。まだ12時にもなってない。お昼休みはまだだぞ。お前ら仕事はどうした。俺は午前中にメールを1件出した。やっぱり大学生が多いんですかね。明らかに大学生っぽいのが多いです。女子も多いです。

多分50人くらい並んでたんじゃないかと思いますが、一応10分かそこらで入れました。

1時間制、残すと1000円罰金だそうですが、あんまり厳密に運用されてはなさそうな感じ、放牧っぽい。

本日のメニューは以下のとおり。

魚介類:ビンチョウマグロ刺、漬けマグロ、ネギトロ、サーモン、〆イワシ、タラコ、貝ひも、カニカマ

野菜:モヤシ炒め、茹でたホウレン草っぽいもの、スライスオニオン

デザート:フルーツポンチ

それにご飯、お味噌汁が食べ放題。

私はただちにピンときたので、一応それぞれちょっとずつ味見はしつつも、ひたすら延々とビンチョウマグロと野菜を食べながら味噌汁を飲んだ。低糖質高タンパク高ビタミン食としてはかなりよさげ。スーパーで刺身を買って帰って腹一杯食べるとだいたい1000円くらいにはなるので、それに野菜と味噌スープがつくのは割安ではあると思う。

このランチの地雷は3つ、酢飯、ネギトロ、フルーツポンチである。飯とフルポンの血糖値上昇はもちろんだが、おそらく業務用ネギトロをそのままぶちまけただけのネギトロはおそろしく油っぽく、山盛り盛ってきた大鳥居さんは最後は苦しみもがきながらなんとか食べきっていた。

なお、漬けマグロと〆イワシは若干臭かったので、敏感は人は食べられないかもしれない。サーモンはまあまあ食べれなくはない。貝ひもは怖かったので手をつけてない。ビンチョウは悪くなかったです。

ひたすらビンチョウマグロだけを延々食べ続けるには悪くないです。ただし日本酒はない。

 

40分か50分くらい食べて出たら、まだめっちゃ並んでた。大学生に混じって70歳くらいであろうおばあちゃんたちが並んでた。不可解である

 

 

 

顔を上げて歩くことの効能

親と先生のいいつけをよく守るが、他の子供よりも多少頭の発育が早かったためにたいへんイヤミな性格に育った私は、完全なる自己要因により、小学校低学年のころには一人前のいじめられっ子として不動の地位を築き上げていた。

いじめられっ子とは悪循環で、いじめられるので卑屈になり、卑屈なのでいじめられる。幸いにも中学2年のとき、とあるブレイクスルーがあっていじめは克服したが、だからといって一朝一夕でリア充になれるわけもなく、ましてや捻くれ曲がった性根がのびやかになるわけでもなかった。

マンガとパソコンとエロゲーがお友達の中学生はすくすくと成長し、ゲーム専門学校に入学しましたとさ。ゴミクズみたいなクソオタのすくつですわ。

まずこれが大間違い、かつ大いなる福音の誘いだったのだが、その社会不適合者で作った雪だるまみたいな専門学校は、大阪は心斎橋という、リア充にあふれたオシャクソな街の真っただ中にあったんですね。東京なら渋谷みたいな。

清く正しいパソコンオタの私は当然ながら、授業が終わったら毎日日本橋まで歩いて遊びに行くわけ。毒の沼みたいにSAN値を削ってくる、手をつないだカップルで一面満ち満ちた大阪ミナミのメインストリートのアーケード街を通って。

カワイイかっこいいオシャレなファッションのイケメン美人チャラ男ギャルの大海に、自分一人、お母さんの買ってきたクソダサい服着てモッサモサの黒髪にダサい眼鏡かけてダサいスニーカー履いてダサい鞄持ってるわけ。道行く人々を直視できるわけがない。ずーーっと下向いて地面見て歩くでしょ。

それはもちろん行き帰りの電車もそうで、向かい座る女子たちが楽しそうにキャッキャしてるの、どう考えても俺がクソダサくてクソブサいことを笑ってるじゃないですか。つまりそういう精神状態なんですよ。心当たりある人も結構いると思うけど。
クソダサくてクソブサくて怠惰でどこまでも無価値な自分が、誰からも虐げられ嘲笑される存在であることを疑う余地はなかった。

誰もかれもがこちらを笑っていて、だからせめて自分にできる精一杯の抵抗が、目線を下にやって彼らを自分の視界にいれないことだった。

そんな死んだほうがいいような生活を送っていたある日、本当になんのきっかけもなく、なんでそんなことを思ったのか今でもわからない、それこそニュートンリンゴのようなもので、ふと思ったんですね。「俺すっげ地面見て歩いてる」って。自分でも気づいてなかったんですね。今でこそ当時を振り返って冷静に分析したりしてるけど。
そしたらなんかすごい視界が狭いんですよ。だって視界に地面と、自分の爪先と、他人の足しか映ってないんですよ。お前どんだけうなだれてんねん。競馬で全財産スったおっさんか。そうするともうなんか首がすごい重い。だってめっちゃ前屈してるし当たり前。肩とか超凝るじゃん。そういえば、上を向いて歩こうとかいう歌とかあるし、よくよく思い出すと親にも「しゃきっと顔上げて歩きなさい」とか言われたことあるような気がするなあ~~、とか思い出して、ふと顔を上げてみたわけ。

その瞬間、ブワーーーーーって世界が広がって、すごい衝撃を受けたんですね。なんか人の顔とか見えるし、さらにその上、人の頭の上は何にもなくて、空気がいっぱいある。心斎橋とか結構人多いので、下向いて歩いてる分にはほんと人口密度はんぱないんですよ。でもちょっと視線を上げれば、地上2メートル地点はスカスカで、すごい遠くまで見通せる。空とか超広いし。こんなに世界広いのに、なんでわざわざこんな狭い世界に生きてたのか謎。

で、ちょっと余裕がでたので周囲を見回してみたら、誰も俺のことなんて見てないんですよ。そんなクソどうでもいいダサいクソオタとか注目して嘲笑する価値もないわけ。世の中のほとんどの人は、自分の楽しい人生を送るので必死。キモオタ見てるヒマがあるなら恋人の顔見るわけ。

あ、なーんだ、俺のことなんて誰も見てないじゃん。って得心して、そこでさらに枷が解けたんですね。常に周囲に監視され嘲笑される檻に閉じ込められているという幻想。

とりあえず、自分の顔を上げて周囲の人の顔をチラ見するだけで、一方的に監視されている関係から、いつでも互いを見ることができる対等の関係になる。
もちろん、他人が自分を監視、嘲笑しているなんてのは完全に幻想なんだけど、自分が下を向いて目を背けることで、一方的に他人がこちらを見るという構図をわざわざ自分から現実に作り出してるんですね。こういうのも自尊心低いやつの悪循環ですね。

結局、この事件がきっかけになって、全般的に物事をポジティブに考えるようになった私は、片思いした女の子と一緒に歩くのが恥ずかしい服装をなんとかしようと同級生の女子に頭下げて全身コーデしてもらい、それがきっかけでオシャクソになったりするのでした。めでたしめでたし。

今でも街を歩くときは、常に目線を高く維持するように意識している。道行く人の顔を見るけど、誰もこっちなんか見てない。これはもう実も蓋もない話だけど、人間は一方的に他人に見られることにとてもストレスを感じる。逆に、自分が一方的に他人を見ている状況だととても安心する。これたぶん、マズローの欲求のうち下から二段目の安全欲求ってやつですね。

そういうわけで、自意識過剰のクソ非コミュどもはとりあえず顔上げたら人生なんぼかよくなると思います。

あと、見た目は努力改善できるので、さっさとオシャクソになってコンプ捨てたほうがいいです。とりあえず色々捗る。そもそもオシャレってのはブサメンのためにあるんですよ。イケメンは雑巾着てもイケメンなわけで、顔がしょうがないから服で誤魔化すんだよ!

 

車がこない信号を待つ意味

東京都中央区で働いている。東京都中央区というと、これだけ日本が落ちぶれてもいまだ世界ナンバーワン都市圏である東京都市圏の中心地である東京都のさらに中心部というすごい場所である。そんなすごい場所に生活している人たちは皆一様にハイスペックで善良でモラルが高い。私を除いて。

 

駅の出口から事務所までは徒歩2〜3分。とても近くて便利。その間に小さな信号が2つある。まいばすけっとに寄って朝ごはんを買うと信号は4つに増える。朝の出勤、昼休みの行き帰り、夜の退勤と、おおむね1日にこれらの信号を2往復ほどするのだが、そのほとんど、8割がたを信号無視している。こんな大人にはならないほうがいいです。私以外のほとんど、9割9分くらいの人は信号を守っているので、その中をさっさと信号無視して歩いていく私は、彼らに異質な目で見られている。無言の同調圧力を感じる。

 

にもかかわらず、私はいっこうに信号無視をやめる気配がない。もちろん理由がある。無駄な時間を過ごしたくないから。

 

やっぱりこういう価値観というのは子供の頃の親の教育というものが大きくて、父親はいつも「車が来てなかったら渡ってもいい、ほんまはあかんけどな」と言っていたので、私は常々そうしてきた、というのが単純に言えばそれだけなのだが、いいかげん三十路も超えていい大人なので、さすがに親の教育のせいにするのもどうかということで、一応自分なりに噛み砕いて考え直した結果、やはり明確な意思をもって信号無視を続けている。

 

仮に私が信号無視をしているときに通行人に引き止められ「こら信号無視すんな」と言われたとして、「すいません、今家族が交通事故にあって救急車で運ばれたとの連絡があって、重症で命が危ないとのことなので、信号を待ってる余裕がないんです、一刻も早く行かなければならないんです」と言えば、おそらくほとんどの人は「そうか、じゃあしょうがない」と行かせてくれるのではないかと思う。ごく一部の人はそれでも融通がきかず許してくれないかもしれないが、多分そんな人は常に信号無視をすることをポリシーとしている人と同じくらい少ないと思う。

 

ここまで脳内でシミュレートして、おかしいな、と思ったのである。交通事故で重症で死にかけの家族は信号を待った数十秒1分のせいで死に目に会えないかもしれないが、いつ死ぬか分からないのは今現在健康な私だって、信号を守っている人だって同じである。確実に言えるのは、車のこない信号を待つということは、人間にとって最も貴重な財産である有限の人生をドブに捨てているということだ。つまり、「こら信号無視すんな」「すいません、私はいつ死ぬかわからないので、信号を待ってる余裕がないんです、一刻も早く行かなければならないんです」ということである。ただし、実際にそんなことを言うとちょっとやばい人だと思われるので気をつけたい。堂々と信号無視してる時点ですでにやばいんですけど。

 

たぶん私は20年、30年後にまだ生きていたら、若いころにああしたらよかった、こうしたらよかった、みたいな後悔を一生懸命記憶からほじくりかえして嘆くことになると思う。もし今、ルールだから、というだけの理由で、集団の同調圧力があるから、というだけの理由で、私の人生になんの係りもないよくわからない人によく思われたいためだけに信号を守っていたとしたら、老後に私がやることは無駄に立ち尽くしていた時間の合計を計算して後悔することである。間違いない。その計算の時間と後悔の時間もまた勿体無い。

 

そんな無駄な時間があるなら、椅子に座ってパソコンでしょうもないまとめサイトを巡回しながらお茶やら酒でも飲んでた方が1万倍マシであある。どちらも等しく無駄な時間ではあるし、そもそも仏教的には人生などなんの価値もない無意味なものではあるけれども、どうせ無駄に時間を費やすのなら、自己目的のために使うべきである。であるから、この文章の論旨は、社会のルールを守ることに愉悦を覚える人に対しては適用できない。

 

p.s.

父親には、上記のようなことに加えて、常日頃から「自分で考えて行動しろ」と教わったので、私もそうするかなと思います。しっかり左右を確認して信号無視するのは、左右を確認せずぼーっとした状態で青信号を渡るより安全かと思います。これは信号にとどまらず全てにおいてそうですね > id:minoru0707

 

 

通勤でエレベーターを利用するときの考察

以前から、エレベーターを意識的に使っている。特に東京都内の地下鉄では、エスカレーターよりもエレベーターのほうが有利なことが多い。
 
東京都内の地下鉄は開発に開発を重ねた結果どんどん地中深くなっていき、エスカレーターや階段がハンパなく長い路線や駅も数多い。地上とホームの間があまりに遠いため、隣駅に行くとき、地下鉄を使わず歩いた方が早いケースすらある。そういった深すぎる駅ではエレベーターは大変便利である。
 
エレベーターの利点は大きく三つある。一つは省力性、もう二つは混雑回避による快適性と時短である。
 
省力性についてはあらためて説明する必要もないと思うが、多くの場合、エレベーターを使うと歩く距離を最短化できる。もちろんそれはエスカレーターでも可能なのだが、こんな文章を書こうというほど常に効率化を考えながら生活している人間が、エスカレーターを歩かないわけがない。千代田線新御茶ノ水駅のエスカレーターの恐ろしい長さは有名だが、あれなどは最初から最後まで歩き続けるとふくらはぎがビキビキになり、息が上がってしまう。かといって左側で立ち止まっているとその遅さにイライラが積もりつもって死にそうになる。典型的タイプA人間である。運良く、目の前に就活女子大生やOLのレディスーツでピタピタのお尻などがあればまた話は別だが、そちらを突き詰めるといずれ両手に枷をはめられることが間違いないし、そういう事象はおおむねマーフィーの法則で支配されていて、意識すればするほど、目の前にはおっさんの型崩れしたスラックスの尻と、似合わないバーバリーの通勤バッグが現れることになるのでオススメしない。
 
通勤通学の風景を思い出してもらいたいが、おそらく、乗降客の九割以上がエスカレーターを使っているのではないだろうか? エスカレーターは長蛇の列なのに、エレベーターには列といえるほどの列もなく、一往復も待てば乗れることがほとんどである。エレベーターに乗ろうという奇特な人も、乗り切れずにもう一往復待つ必要があるとわかった瞬間に半数がエスカレーターに向かう。明らかにエレベーターのほうが混雑度が低く快適なのだが、ほとんどの人がわざわざ混雑度の高いエスカレーターを目指す。一つは周囲に流されての思考停止だろうが、もう一つには、進捗が見えることも大きいのではないかと思う。
 
エスカレーターは常に列が動いているため、そこに並んでいる自分が進みつつあることがよくわかるが、エレベーターの場合は待っている間は扉の前でただただ立ち尽くしているだけで、あとどれくらい待てばエレベーターに乗れて目的地に着くかというのを認識するのが非常に難しい。人間の脳は、進捗が見えない行動を嫌う。今ぱっとソースが出てこなくて申し訳ないが、目的地まで最短距離だがあとどれくらいで到着するのかわからない道と、ちょっと遠回りだが、あとどれくらいで到着するのかわかる道だと、後者を選ぶ人のほうが多い、という研究結果を見たことがある。ほとんどの人間は、能動的かつ思考停止的にエスカレーターを利用している。いったん固定観念を捨てて論理的に考えてみると、エレベーターのほうがエスカレーターに比べて明らかに空いているのがよく見える。
 
混雑緩和についてはもうひとつある。ほとんどの人がエスカレーターを使うため、エスカレーター乗り口付近は車両もホームも混雑する。人が多くてちびちびとしか進めないのは非常にストレスだが、多くの駅でエスカレーター乗り口と距離が離れているエレベーター付近ではそんな混雑もなく、電車に乗っている段階から既に快適である。「降りる駅のエスカレーター乗り口の場所に合わせて乗るのだ」などとドヤ顔で豪語する人は数多いが、むしろ浅はかに見える。エレベーターの位置に合わせて乗るほうがより快適で効率的である。
 
さて、実は私がもっとも主張したい、こんな落書きを書こうと思い立った当初のきっかけについてであるが、それはエレベーターの乗り方にかんする発見と考察である。ここまでのエレベーターの利点についての説明は、あくまでもその説明のための前文でしかない。そしてこの発見は、前文で述べた利点のうちの主に快適化と省力化をさらに強化するものであり、これによってエレベーター通勤術は完成するといっても過言ではない。むしろ、この発見なくしては、エレベーター利用のメリットは著しく低減するとすら言える。具体的には「エレベーターに乗るときの位置」についての発見である。
 
エレベーターの最大の特徴が、複数人が同時に運ばれるというものである。狭い中で他人とひしめきあうのはお世辞にも快適とは言い難い。また、乗り降りの際にもストレスは発生する。閉まりかけのエレベーターに乗ろうと走ってくる人、我先に降りる人など、他人の行動によって被る不快である。エレベーターを快適に利用するには、これらの問題点への対策が肝要である。
 
まず他人との接触であるが、これは簡単な問題で、できるだけ他人と接する面積を小さくしてやればよい。具体的には壁にくっつくようにするべきだ。当然壁よりも角のほうがなおよい。
さらには四角形のエレベーターに角が四つあるうち、乗降を考えて降りるドア側の二隅どちらかがよいのだが、ここまでは誰でも考えていることで、観察しているとほとんどの人がここで間違えている。
 
ここでも思い出してほしいが、ほとんど全ての人が、エレベーターに乗ると自動的に、扉を入って左側の角に立つ(これを「手前左」と定義してみる)。コントロールパネルがあるからである。皆一様に、エレベーターに乗るとコントロールパネルの前に立つ。もちろん乗員が自分しかいなければ自分で操作するので、他人がいようがいようまいが、最初にエレベーターに乗った場合にコントロールパネルに向かうのは行動ルールとしてはシンプルであり、理解できる。ほとんどの人がこの無意識のルールにのっとって行動している。
 
しかしながら、他人の同乗するエレベーターを操作するのは非常に神経に触る。意識の低い中年や老人などが壁にもたれかかり、壁に横向きに設置されているコントロールパネルのボタンを体で押しているがために、閉ボタンを押しても閉まらなかったりする。そして、目的地に到着したら、ほかの人が降りるまで開ボタンを押してやり、自分は一番最後に降りるのだ。バカバカしい。もちろん私も、ベビーカーを押したり子供を抱いたお母さんや、腰が曲がって本当にヨボヨボの老人、クッソ重そうな荷物を抱えた人に対してはそういった親切もするが、いたって健康な大人たちに対してそんなことをしてやる必要など微塵もない。ゆえに、この場合の最適解は「降り口ドアの、コントロールパネルがない側の角に立つ」である。
 
なお、観察によると、多くの人が、すでに一人目の乗ったエレベーターに乗り込む場合、お行儀よく奥から詰めて乗っているように思う。実に理にかなっていてもっともではあるが、やはりこれも降りる際にモタついてよくないので、二番目に乗る場合であっても、ドアを入って右側の角(手前右)を目指すべきである(乗降ドアが1つの場合)。角に体をぴったりつければ、後続の人の邪魔にはならない。また、多くの人が奥から詰めて乗るため、二番目でなくてもほとんどの場合、手前右を占有することは可能であり、手前右が埋まっているほど混む場合、手前真ん中にかろうじて乗れるか、乗れないかであるため、いずれにしてもエレベーターに乗る際には手前右か手前真ん中に乗ることができ、降りる際のスムーズさは随一である。
 
エレベーター術、一度おためしいただきたい。おそらく、この技がもっとも効果を発揮するのは、コミケ当日の国際展示場前駅のエレベーターだと思う。びっくりするほど一瞬で地上あるいはホームに到達することが可能である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

普通の袋ラーメンをめっちゃおいしく作る方法

おいしい袋ラーメンを作るのはめっちゃ簡単です。

1)麺を味見する

「まだ固くて食べごろじゃない」と「そろそろ食べれる固さ」の間くらいでで火を止めるのがよいです。口にするまで伸び続けるのでね。
大事なのは味見です。
鍋から麺を1本箸で掬って食べます。まともなラーメン屋さんのキッチンでは必ずそうします。まともなラーメン屋さんではゆで時間はすべて決まっているのですが、やはり気温湿度お湯の温度で若干差が出るので、わかりきってても最後の確認として味見をします。

2)新しいお湯でスープを作る

茹でたお湯は捨ててください。丼に入れるのは引き上げた麺だけです。
そこに袋入りスープをあけて、新しいお湯を入れてください。全然味が違います。
まともなラーメン屋さんでは、めんを茹でるお湯とスープは別物です。麺をゆでたお湯でスープを入れるお店とか見たことない。

以上、2点だけ。
高校時代にラーメン屋でバイトした経験をもとに開発したやりかたですが、大変役立っています。


ちなみに、最近オススメなのは、セブンプレミアムの「金の麺」です。1袋80円くらいなのにめっちゃおいしいです。

http://www.7netshopping.jp/food/detail/-/accd/2110288817/

高かったけど美味しかったのは、藤原製麺の「本場北海ホタテバター風味醤油ラーメン」。

 

 


なお寿司は夏コミ本完成まで禁止のため特にありません。

同人誌の部数のきめかた

次のイベントに向けて、同人誌を何冊印刷するか。
 
同人作家にとって未来永劫尽きることのない悩みですね。
 
仕事が暇すぎるので、5年間で50回くらい同人イベントに出て、本を30冊くらい作ってきた経験からある程度の指針みたいなものを書き出してみます
 
同人誌の部数をを決めるときの判断材料はかなり多岐にわたり、個別要因だけでなく、特定の要因の組み合わせによってがらっと部数が変わる場合もあるが、とりあえずひとつづつ解説していく。
 
■一次創作か、二次創作か
 
二次創作は、原作の人気によって完全に売り上げが左右される。大幅に刷りすぎて、赤字のままジャンルのブームが過ぎると同人活動の継続が困難になるため、特に部数の検討を念入りにする必要がある。
一時創作については、二次創作ほど外的要因による売上の上下がなく、長期間にわたって売り続けることができるので、二次創作よりは部数の検討の難易度は低い。
 
■漫画か小説か
 
男性向けには小説の市場はほぼ存在しない。
女性向けの二次創作小説の場合、ジャンルのファンの平均年齢が低いほど小説比率は低く、年齢が高いほど小説比率は高いと考えるとよい。
小説のメインターゲットは20代後半~30代~、未成年のライトオタはほぼほぼ小説は読まないと想定してよい。
また、漫画と小説の部数比率については、おおむね4:1程度に換算すると検討しやすいかもしれない。
 
■ジャンル(覇権:1000SP~、大規模:~1000SP、中規模:~500SP、小規模:~200SP、零細規模:~50SP
 
覇権ジャンルの勃興期~絶頂期にかけて、
壁:2000~ 偽壁~胆石:1000~2000 島端~胆石:500~1000 島:~500 くらいが1イベントで頒布可能な現実的な上限と思われる(ふつうのイベントだと、搬入計画に500も書けば胆石に配置されるので、島中に500だの1000だの持ち込むことはありえない)
実際は、イベントのSP数よりも一般来場者の数(=市場の大きさ)のほうが重要で、さらには市場の大きさよりも、市場の大きさとSP数の比率(1SPあたりの市場独占度)のほうが重要なので、大規模ジャンルだから売れるというものでもない。最大イベントのSP数や、pixivの作品数や勢い、2chの同人スレの勢い、twitterでの周囲の風向きなどで総合的に判断する必要がある
 
■ジャンルの時期(黎明期、勃興期、絶頂期、斜陽期)
 
・ジャンルが登場してすぐ
 
需給ギャップが大きい(今すぐ同人作品がほしい読み専は多いが、書き手が追い付かない)ので、好きカプ好きキャラはすべて買い漁ることになる。予算も潤沢で棚も空いている。素人はここでイベントに参加できるとボーナスタイム
完売祭りが起きる
覇権ジャンルで平均レベルの作品であれば勝負かけて多めに刷っていい 完売祭りで自サークルだけ在庫が残っていると入れ食い 想定より売れなくても先は長いので気が楽
 
・ジャンルの絶頂期(=書き手が追い付いてきてだいぶ作品が出そろったころ=イベントのSP数が最大になるころ)
 
ある程度サークルの取捨選択が進んでいるので、下手な人が大規模ジャンルだからといってこの時期に初参加すると爆死する
このころにクソ上手い大手サークルが乗り込んできて読み手をすべてかっさらって行く
イベント規模が大きすぎると島中まで回れないので島中爆死現象
勃興期から地道に活動していてある程度の固定ファンがいる場合は安定
 
・ジャンルの斜陽期
 
新ジャンルが出てくると急激に売れなくなっていく
読み手の棚にも本が増えてくる
それなりにファンがついている場合は、新カプの発掘で新しい需要を生み出すことができる
 
■判形、ページ数
 
薄すぎる本(~20P)は価格設定も安くせざるを得ないので、少部数(~200)の場合につらい
暑すぎる本(100P~)は原価率がかなり高くなるので、やはり少部数のときにつらい
 
■本文カラー(カラー、モノクロ)
 
フルカラー本は1000部以上でないとつらい
内容を充実させて価格が高めでも喜んでもらえるようにする
薄くて安いフルカラー本は壁~シャッターレベルのサークルじゃないとつらい
 
■表紙(イラスト、デザイン)
 
売りたいならイラスト表紙一択
売るつもりがないならデザイン表紙でもなんでもいい
 
 
 
 
 
 
 
 
実際、考えることが多すぎて、無理ですね
 
もうちょっと簡単に考えましょう
 
■50部以上売れる見込みがない、あるいは最初からそんなに売るつもりがない本
 
・薄い本:自宅コピー、セブンイレブン 厚い本:オンデマ
 
・全部売り切ってトントンかちょっと黒字くらいの印刷費で検討
 
■50部以上は売れると思う
 
・安い印刷屋でオフセット200
 
・イベント100、とらのあな100
 
・オフの場合、原価率25%~30%程度に収まるようにするととても楽
 
・目が慣れてくると、オフに比べてオンデマの印刷品質の悪さがめちゃくちゃ気になってくる
 
・オンデマの100とオフセの100、200の値段がほとんど変わらない
 
■100部は売れそう
 
・オフセ300~400
 
・イベント200、とら100~200
 
■200部以上は売れると思う
 
・オフセ500~600
 
・イベント300、とら200~300
 
■500くらい売れる
 
・オフセ800~1000
 
・イベント500、とら500
 
とらのあな事前発注を使う
 
・表紙を先に仕上げる、表紙と本文数ページを虎の穴に送って前発注もらう
・虎の穴の発注+売れそうな数を印刷
 
・~100部 : ほぼ店頭に出回らない
・100部 : よくて なんば、梅田、池袋、秋葉原、名古屋 くらい
・200部 : 福岡、札幌、仙台、などにも回りだす
・300部 : ピックアップとしてスタッフによる推薦記事が作られ始める
・500部~ : ほぼ全店舗に入る
 
どういうことかというと、多く入れれば入れるだけ露出が増えるので、100部で10部売れるのが、300部だと30部でなく100部売れるようになる
 
■覇権ジャンル&半年、1年後もジャンル人気が続く見込みがある
 
・次のコミケ&大型イベントなどの売り上げもある程度見込んで多めに刷る
 
・minikuraに100部ずつぶちこむ:書店の追加発注&イベントのときに発送依頼をするだけで便利
 
■ジャンル時期による倍率
 
黎明期~絶頂期 : 売れそうな数の2~3倍
絶頂期過ぎた : 売れそうな数
衰退期 : 売れそうな数の半分~売れそうな数
 
 
 
こんなかんじですか
 
 
p.s.
「男性向け小説市場が存在しないものと考えてかまわない」という表現についてのツッコミがちらほらあるので、やや表現を変えました。また、東方や艦これに小説サークルが一定数あるという指摘もありましたが、東方も艦これも男性向けではなく、男女半々のジャンルだと認識しています。
 
 
 

 

BL同人小説制作のすすめ

こんにちは、おっさんです。
 
オタクに引き続き、腐女子の社会的地位向上が目立つ昨今でございます。
 
腐女子という単語が一般化したと思ったら、次に出てきたのは「腐男子」でございます。
 
ファッション業界では、レディースの流行が後れてメンズに導入されるというのが常識です。ビジネスでは、まず女子の耳目を集めろといいます。そうすれば勝手に女子目当ての男が寄ってくるからです。ほも業界おまえもか。
 
ネットを散策していると、腐男子を自称するおっさんをしばしば見かけるようになりましたが、どうも気に入らない。
 
前述の「女が集る場所に男が集る」理論を適用してみれば、女が好き好むBLに迎合して男が集っているのではないかと邪推してしまう。そして、腐男子という存在が観測可能なほどにわかに広がり始めたのはおそらくここ数年で、腐女子という単語がメジャーになった後のことで、これも女集男集理論で説明がつく。
 
そもそも私自身がBLをそれなりに理解しているシスヘテであり、構図的にはまさに女が好き好むBLに迎合して集っている男そのものなので、他人の行動に対する分析は自身の経験と価値観によって行われるという原理のもと、腐男子アピールをしている男ども全員が、私にはBLには興味はないけど女が好きだから腐男子を名乗って女の尻を追いかけている不埒者に見えている。
 
男は女の尻を追いかけるものなので、それについてはまったく問題はないのだが、さも女には興味ないけどたまたまBL好きなので~、みたいな態度は非常に気に食わない。なので、私自身もそういった態度をとることは慎重に避けている。腐男子は名乗らないし、BLは理解できるけど別に好物ではなく、女子が好きである、と公言している。
 
さて、そんなBL別に好きじゃないアピールをしている私ですが、時折同人BL小説を書いて遊んでいます。直近だと、2015/3/8に刀剣乱舞オンリーでうすぺらいほもえろ小説本を出します
 
 
 
おっさんが(あるいはおっさんでなくとも)同人BL小説を書くことにはとてもいろいろなメリットがある。
 
1)文章の練習になる
 
文章力は、書かないとどんどん低下してしまう。しまいには書くことすら億劫になる。基礎体力のようなもので、日々のジョギングが大事。私でいえばたぶん10年前くらいが一番、内容はともかく面白い文章を書いてた気がするんだけど、twitterの発達とはてなの衰退に伴ってブログを書かなくなった。その代替として、BL小説は気軽に書けて悪くない。
 
2)小説の練習になる
 
文章といっても、ブログと小説は全然違う。なかなか難しい。いろんな小説を読むとなかなか勉強になるけど、書いてみるとまた違う勉強になる。
BLというのはやおいというように、山なしオチなし意味なしというくらいで、たぶん小説のジャンルとしてはかなり敷居が低い。同人なのでキャラクターもすでに用意されている。考えることが非常に少ない。初心者向けだと思う。
 
3)男性性についてよく知っている
 
腐女子は女なので、男性性についての知識が乏しい人も多く、ことあるごとにどういった描写をすればよいかとても悩むらしい。こと、視覚性を重視する男と違い、女子は内面を重視するので、女子は自分では絶対に感じえない男性の内面について一生懸命情報収集したりシミュレーションしてBL作品を創作している。そのひたむきさに涙がちょちょぎれそうだ。
おっさんは男なので、そんな男性性についてはとてもよくわかっている。これはアドバンテージとしては結構おおきい。
 
4)女性性の勉強になる
 
とはいえ、BL小説を読むのは女子なので、実際の男性性をそのままあけっぴろげにすればいいというわけでもない。女子が好むように色々と脚色したりカスタマイズを施す必要がある。それにより、女子の好みや、女子の考えていることなどがわかるようになる。
人間の半分は女子なので、女子に対する理解が深まれば、社会生活を営む上でいろいろと捗る。
 
また、実際にBL小説を書くと、読み手も書き手もほとんど全員女子なので、否が応でも女子たちと相対することになる。イベントに行けば周囲は女子だらけになる。朝の女性専用車両に単身で放り込まれるのとほとんど変わらない。そんな環境でまっとうに生き延びるには、女子に対する配慮が必要である。あまりにぼさぼさな頭や薄汚れた服では通報されて逮捕されてしまうので、自然と身だしなみに気を付けるようになる。
 
5)周囲が女子ばっかりなので楽しい
 
イベントに行けば周囲は女子だらけで、臭いキモオタは自分一人である。とても楽しい。座っているだけで眼福である。ただしじろじろ見るのは失礼なので、しれっとしていなければならない。
おっさんの書いた怪しげなBL本をかわいい女子が買っていく構図にはなかなかの背徳感を覚える。
 
6)売れると楽しい
 
男性向けと違い、女性向け同人は小説の市場もそこそこある。粗利ベースで黒字を出すのは、やろうと思えば全然難しくない。
 
 
 
 
どうでしょうか。ぜひそこのおっさんもBL同人小説を書けばいいと思います。私が腐男子嫌いなのは、まっとうな創作活動してる腐男子をみたことがないからというのもあります。一般的なオタクや腐女子と比べて、腐男子のクリエイター比率が低すぎると思う。これも、腐男子=適当な理由を付けて女の尻を追っかけてるだけのにわか説を強化している。
 
 
なお、私が高校時代に興味本位で「好きしょ」をやった当時は何の感慨もわかなかったのに、どうしていつの間にかこんなことになってしまったのか、その経過についてはさっぱり覚えていない
 
 
最近寿司食べてないな…… と思ったけど、そんなことなかった。週1くらいで食べてた。