きつねこの週刊デイリー寿司ニュース

主に食べたお寿司についてつぶやきます

知らないことをさぞ知っているかのように振舞うことが恥ずかしい

最近、人生何度目かの神座ブームが襲来している。

神座というのは大阪で有名なラーメンチェーンで、東京にも進出しているので知っている人も多少いるとは思うが、わりと独特な味なのである。

流行りの豚骨とかとは全然違って、澄んだ甘いスープ。それはいわゆる昔懐かしい系とも違う。具は白菜がたっぷり入っている。鍋っぽいと形容する人もいる。

新宿の神座でラーメンを食べながら、ネットで評判を見る。

「豚のダシがよく出ているが、うんたらかんたら」

「煮込まれた白菜のダシがよく出ている、なんとかほげほげ」

自称ラーメン評論家というような人たちが、あれこれ好き放題に書いているレビューがたくさん出てくる。さすがそれなりの有名店だから。でもこれ全部的が外れている。

神座のスープはフランス料理の応用で、主な出汁は牛である。そして白菜はラーメンを作るその時に、中華鍋でスープにぶちこんで炒める。なんでこんなことを言えるかというと、私は高校時代に神座でバイトをしていたから。

色々なレビューを読むと、多くの人が、憶測で間違ったことを偉そうに語っている。非常にばかばかしい。というか、スープの出汁がなんなのかなんてことは、それなりに舌の肥えた人間であれば、味わえばある程度わかるはずである。

こういうことがあって、本当のことを知らないことについて語るのは怖いなあ、と思いつつも、この問題のなにが問題かというと、これに気づいてしまってから、ブログを書くことが非常に億劫になったのだ。

私も過去、はてなブロガーとして少し有名だった時期があって、だいたい1日数千ほどのアクセスがあった。固定ファンのような人もいて(話題がITとか時事問題だったので男ばっかりだったけど)、それなりに調子にのっていた。

そのブログは仕事関係でトラブルがあって、直接の当事者ではないのだが、限りなく当事者に近い立場にいたために閉じた。

もちろんそれで完全終了になるわけもなく、すぐさま新しいブログを立ててしばらくは更新していたのだが、その途中でいろいろと疑問がわいてきた。

ブログのアクセスを増やすのは、正直難しくない。話題になっているできごとについて、多くの人の意見とちょっと違うようなひねくれた意見を書き、大きなアクセスのある有名ブロガーのブログにトラバするだけだ。見に来てくれた人のうち、幾人かは私の文章を面白いとおもってくれて、読者として定着する。そもそも、この方法が非常にさもしくてもう嫌だな、と思っていたこともある。

そしてなにより嫌だったのは、自分がよく知りもしないことを、さも詳しいかのように振舞わなければならないことだ。もちろん自分がよく知っていることもあるが、それにしたって自分より詳しい人は世界中に山のようにいるし、自分がよく知っていることについて語るとき、それだけで完結するのではなく、どうしても自分がよく知らないことについても話題は広がってしまう。しかし正直に言って読み専というのはそんなに賢くない、知識のない人も多いので、日ごろからニュースやいろいろなブログをそれなりに広く読んでいれば、そういう人たちを煙に巻ける程度の知識は備わってしまう。そんな付け焼刃を、さも磨き抜かれた鋭い刃であるかのように見せかけて興を買うのは実につまらない。

数年前に書いた自分のブログなんかを見ると、もうそれはそれは恥ずかしくなる。ああ、当時このブログをみたいい大人には「ああ、なんかお子様が一生懸命やってるんだな」って思われてたんだな、と。

そういうわけで、恥ずかしくない文章を書く自信がぜんぜんなくなったので、ブログをあんまり書かなくなった。

これに気づいてから、私は評論家とかいうものをあまり信用できなくなった。人というのは自信に満ち溢れた人に無条件に信頼と好意を寄せるようになっていて、世の評論家は、私はなんでも知ってます、というふうを装ってさまざまな評論をしているが、前述したように、自分の専門分野でないことがらについてもよく知っているふうに語らなければならない。あるいは、ドヤ顔で非常に浅い考えを披露していたりする。

知識のない、考えもない、ただただ知識人の発言をありがたく拝聴するような情弱ばかり(おそらく人口としては一番多い)に接していると、とにかくすべての物事について正しい回答を授けなければならない、というような間違った考えを持ってしまうのかもしれない。何を言っても有り難がられるので、もはや自分が何を言っているのかわからなくなっているのかもしれない。

いろんな知識人が、しょっちゅうネットやテレビで炎上しているが、たいていよく知らないことを知ったかぶっていることが遠因になっていたりするような気がする。今までバカ相手にそれで通してきたんだろうし、そういうものを賢い人はとりあうのもバカバカしいので放置してきたんだろうけど、色々な理由で放置できない状況になって、いざ俎上に上げてみると、あれよあれよと自壊する。そういう人を良く見る。

沈黙は金、雄弁は銀、という言葉があって、私は今でもそうだが、子供のころから非常にいらんことを言う子供だったので、父親にいつもそういってたしなめられた。大人になってから、この言葉を作った当時のヨーロッパでは、金より銀のほうが価値が高かったということを知り、父親に抗議したところ「そんなことは知っている」とだけ返された。その後もずっと不服だったのだが、今にして思うと、金と銀どちらが優れているとかいうことにあんまり意味はなくて、しょうもないことを言って尻尾を出す事に比べれば、沈黙も雄弁もはるかにいいのだ。別に雄弁したいならすればいいけど。できるならね。自信がないなら黙っとけ。そのうえで、黙るか喋るかは自分で考えろ、という話で。

なんかはてなブロガー向け飲み会とかいうのに参加させてもらうことになったので、久しぶりに適当な記事をかきました。しかしながらその飲み会は寿司ではなくやきとんだそうです。