きつねこの週刊デイリー寿司ニュース

主に食べたお寿司についてつぶやきます

世界が色あせていくというお話

目が見えなくなるのって怖いよね〜〜、とか言うけど、目が見えなくならなくてもとても怖いお話がある。
 
古いブラウン管が色あせるように、古い写真が色あせるように、我々の目の奥の網膜にある色を感じる細胞も、普通に生きているだけで日々劣化していくらしい。
 

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(元ツイートがないようなので、一番古いのを持ってきました) 

私はたまにお絵描きをして遊んだりするのだけど、色を塗るのがとにかく苦手で、それはもう小学校の図工の時間からそうだった。
色彩に対する感受性は明らかに低くて、色、ああ、見えてるよね、くらいの感覚でずっと生きてきた。空気や水と同じように、普通に生きてる限りいくらでもそのへんに散らばっているものだと思っていた。
しかしながら、実はそうではなくて、明日以降のこれからどんな人生の中で見る青空よりも、今見ている青空が一番鮮やかなのだ、ということを知ってしまってから、少し考え方を変えた。
 
ちょっと視界を探索してほしい。あるいは、適当に自分の周辺を見回してほしい。普通の人は、多分いろんな色に溢れた世界で暮らしていると思う。我々が朝から晩まで暮らすほとんどの空間では、もうそれはそれは多くの色が無造作にごちゃごちゃに置かれていて、美もクソもない状態になっている。これはひとつの、色を美しく感じることができない原因なのではないかと思うのだが、その適当な景色のなかに、印刷物だったり日用品だったり、鮮やかな色がたくさんあるうちひとつに注目して眺めてほしい。適当に入った美術館で、適当な絵画を鑑賞するように。すると、なんだか色というものがとても綺麗なものに見えて来るのではないかと思う。なんでもないポケットティッシュの消費者金融のチラシのピンク色が、へえ〜、こんな鮮やかだったんだなあ〜、と密やかな感動をもたらしてくれる。それから、こんな0.1円もしないような、捨てられて燃やされる為だけに作られたような悲しい工業製品に用いられている技術がいかに高度かという驚きがあり、100年前には貴族しかアイスクリームを食べられなかった話になって、1000年前には色鮮やかである、ということに価値があったというところにたどり着く。
 
少し前まで、アフリカで原始的な生活を送っていた部族の女性たちは、地中海などに出稼ぎに出て、踊ったり体を売ったりして硬貨を集めると、地元に持って帰っては紐でつないでアクセサリーにしたりしていたらしい。金や銀でできた硬貨と、色のついた半透明のプラスチックフィルムにアルミを蒸着した、100円のお菓子のパッケージは、色彩としての鮮やかさはけっこう近い。生まれた時から色に囲まれすぎていたので、生まれたときから感性が鈍っていたのだ。それを踏まえた上で部屋を見回すと、潰して捨てるだけのダンボールの表面の印刷や、テレビリモコンのゴムボタンや、そういった何もかもが素晴らしいものに見えて来る。
 
こういった他愛もないなんでもない鮮やかさのすべてが、感光能力の低下と引き換えにもたらされているものであると考えると、急に、それをけして見逃してはいけないという気分になってくる。という雑談をたけおとしていたところ「ええ話やんブログかけよ」って言われたので書いた。たけおは人にブログかけという前に自分の原稿をかけ。
 
なお、この「網膜が日焼けして色の感度が下がる」という話は、イマイチ科学的なソースがでてこないのでガセ説があるのですが、いずれにしても、日常で見る色について深く考えるきっかけになったので感謝している。
 
最近、100円回転寿しを事前にネットとか電話で注文して取りにいき、持って帰ってきて宅飲みのツマミにするというのがマイブームなのですが、それはまた別の機会に書きます。