きつねこの週刊デイリー寿司ニュース

主に食べたお寿司についてつぶやきます

顔を上げて歩くことの効能

親と先生のいいつけをよく守るが、他の子供よりも多少頭の発育が早かったためにたいへんイヤミな性格に育った私は、完全なる自己要因により、小学校低学年のころには一人前のいじめられっ子として不動の地位を築き上げていた。

いじめられっ子とは悪循環で、いじめられるので卑屈になり、卑屈なのでいじめられる。幸いにも中学2年のとき、とあるブレイクスルーがあっていじめは克服したが、だからといって一朝一夕でリア充になれるわけもなく、ましてや捻くれ曲がった性根がのびやかになるわけでもなかった。

マンガとパソコンとエロゲーがお友達の中学生はすくすくと成長し、ゲーム専門学校に入学しましたとさ。ゴミクズみたいなクソオタのすくつですわ。

まずこれが大間違い、かつ大いなる福音の誘いだったのだが、その社会不適合者で作った雪だるまみたいな専門学校は、大阪は心斎橋という、リア充にあふれたオシャクソな街の真っただ中にあったんですね。東京なら渋谷みたいな。

清く正しいパソコンオタの私は当然ながら、授業が終わったら毎日日本橋まで歩いて遊びに行くわけ。毒の沼みたいにSAN値を削ってくる、手をつないだカップルで一面満ち満ちた大阪ミナミのメインストリートのアーケード街を通って。

カワイイかっこいいオシャレなファッションのイケメン美人チャラ男ギャルの大海に、自分一人、お母さんの買ってきたクソダサい服着てモッサモサの黒髪にダサい眼鏡かけてダサいスニーカー履いてダサい鞄持ってるわけ。道行く人々を直視できるわけがない。ずーーっと下向いて地面見て歩くでしょ。

それはもちろん行き帰りの電車もそうで、向かい座る女子たちが楽しそうにキャッキャしてるの、どう考えても俺がクソダサくてクソブサいことを笑ってるじゃないですか。つまりそういう精神状態なんですよ。心当たりある人も結構いると思うけど。
クソダサくてクソブサくて怠惰でどこまでも無価値な自分が、誰からも虐げられ嘲笑される存在であることを疑う余地はなかった。

誰もかれもがこちらを笑っていて、だからせめて自分にできる精一杯の抵抗が、目線を下にやって彼らを自分の視界にいれないことだった。

そんな死んだほうがいいような生活を送っていたある日、本当になんのきっかけもなく、なんでそんなことを思ったのか今でもわからない、それこそニュートンリンゴのようなもので、ふと思ったんですね。「俺すっげ地面見て歩いてる」って。自分でも気づいてなかったんですね。今でこそ当時を振り返って冷静に分析したりしてるけど。
そしたらなんかすごい視界が狭いんですよ。だって視界に地面と、自分の爪先と、他人の足しか映ってないんですよ。お前どんだけうなだれてんねん。競馬で全財産スったおっさんか。そうするともうなんか首がすごい重い。だってめっちゃ前屈してるし当たり前。肩とか超凝るじゃん。そういえば、上を向いて歩こうとかいう歌とかあるし、よくよく思い出すと親にも「しゃきっと顔上げて歩きなさい」とか言われたことあるような気がするなあ~~、とか思い出して、ふと顔を上げてみたわけ。

その瞬間、ブワーーーーーって世界が広がって、すごい衝撃を受けたんですね。なんか人の顔とか見えるし、さらにその上、人の頭の上は何にもなくて、空気がいっぱいある。心斎橋とか結構人多いので、下向いて歩いてる分にはほんと人口密度はんぱないんですよ。でもちょっと視線を上げれば、地上2メートル地点はスカスカで、すごい遠くまで見通せる。空とか超広いし。こんなに世界広いのに、なんでわざわざこんな狭い世界に生きてたのか謎。

で、ちょっと余裕がでたので周囲を見回してみたら、誰も俺のことなんて見てないんですよ。そんなクソどうでもいいダサいクソオタとか注目して嘲笑する価値もないわけ。世の中のほとんどの人は、自分の楽しい人生を送るので必死。キモオタ見てるヒマがあるなら恋人の顔見るわけ。

あ、なーんだ、俺のことなんて誰も見てないじゃん。って得心して、そこでさらに枷が解けたんですね。常に周囲に監視され嘲笑される檻に閉じ込められているという幻想。

とりあえず、自分の顔を上げて周囲の人の顔をチラ見するだけで、一方的に監視されている関係から、いつでも互いを見ることができる対等の関係になる。
もちろん、他人が自分を監視、嘲笑しているなんてのは完全に幻想なんだけど、自分が下を向いて目を背けることで、一方的に他人がこちらを見るという構図をわざわざ自分から現実に作り出してるんですね。こういうのも自尊心低いやつの悪循環ですね。

結局、この事件がきっかけになって、全般的に物事をポジティブに考えるようになった私は、片思いした女の子と一緒に歩くのが恥ずかしい服装をなんとかしようと同級生の女子に頭下げて全身コーデしてもらい、それがきっかけでオシャクソになったりするのでした。めでたしめでたし。

今でも街を歩くときは、常に目線を高く維持するように意識している。道行く人の顔を見るけど、誰もこっちなんか見てない。これはもう実も蓋もない話だけど、人間は一方的に他人に見られることにとてもストレスを感じる。逆に、自分が一方的に他人を見ている状況だととても安心する。これたぶん、マズローの欲求のうち下から二段目の安全欲求ってやつですね。

そういうわけで、自意識過剰のクソ非コミュどもはとりあえず顔上げたら人生なんぼかよくなると思います。

あと、見た目は努力改善できるので、さっさとオシャクソになってコンプ捨てたほうがいいです。とりあえず色々捗る。そもそもオシャレってのはブサメンのためにあるんですよ。イケメンは雑巾着てもイケメンなわけで、顔がしょうがないから服で誤魔化すんだよ!