たいこ茶屋の刺身食べ放題ランチ1100円に行ってきた
これです。
前々から気にはなっていたのですが、最近また記事になって目につくようになったので、そろそろ行こうかって思いました。
@kituneponyo 行きたいです! 前からチェックしてたんですよね。
— 大鳥居_C88日西2れ-14b (@G0LDMAN) 2015, 7月 4
ということで、プロ厨房の大鳥居さんと行ってきました。なお写真はない。
11:30開始なので11:30に行けばいいだろと思ってたらめちゃくちゃ並んでるでござる。貧乏人多いな。11:30って11:30ですよ。まだ12時にもなってない。お昼休みはまだだぞ。お前ら仕事はどうした。俺は午前中にメールを1件出した。やっぱり大学生が多いんですかね。明らかに大学生っぽいのが多いです。女子も多いです。
多分50人くらい並んでたんじゃないかと思いますが、一応10分かそこらで入れました。
1時間制、残すと1000円罰金だそうですが、あんまり厳密に運用されてはなさそうな感じ、放牧っぽい。
本日のメニューは以下のとおり。
魚介類:ビンチョウマグロ刺、漬けマグロ、ネギトロ、サーモン、〆イワシ、タラコ、貝ひも、カニカマ
野菜:モヤシ炒め、茹でたホウレン草っぽいもの、スライスオニオン
デザート:フルーツポンチ
それにご飯、お味噌汁が食べ放題。
私はただちにピンときたので、一応それぞれちょっとずつ味見はしつつも、ひたすら延々とビンチョウマグロと野菜を食べながら味噌汁を飲んだ。低糖質高タンパク高ビタミン食としてはかなりよさげ。スーパーで刺身を買って帰って腹一杯食べるとだいたい1000円くらいにはなるので、それに野菜と味噌スープがつくのは割安ではあると思う。
このランチの地雷は3つ、酢飯、ネギトロ、フルーツポンチである。飯とフルポンの血糖値上昇はもちろんだが、おそらく業務用ネギトロをそのままぶちまけただけのネギトロはおそろしく油っぽく、山盛り盛ってきた大鳥居さんは最後は苦しみもがきながらなんとか食べきっていた。
なお、漬けマグロと〆イワシは若干臭かったので、敏感は人は食べられないかもしれない。サーモンはまあまあ食べれなくはない。貝ひもは怖かったので手をつけてない。ビンチョウは悪くなかったです。
ひたすらビンチョウマグロだけを延々食べ続けるには悪くないです。ただし日本酒はない。
40分か50分くらい食べて出たら、まだめっちゃ並んでた。大学生に混じって70歳くらいであろうおばあちゃんたちが並んでた。不可解である
顔を上げて歩くことの効能
親と先生のいいつけをよく守るが、他の子供よりも多少頭の発育が早かったためにたいへんイヤミな性格に育った私は、完全なる自己要因により、小学校低学年のころには一人前のいじめられっ子として不動の地位を築き上げていた。
いじめられっ子とは悪循環で、いじめられるので卑屈になり、卑屈なのでいじめられる。幸いにも中学2年のとき、とあるブレイクスルーがあっていじめは克服したが、だからといって一朝一夕でリア充になれるわけもなく、ましてや捻くれ曲がった性根がのびやかになるわけでもなかった。
マンガとパソコンとエロゲーがお友達の中学生はすくすくと成長し、ゲーム専門学校に入学しましたとさ。ゴミクズみたいなクソオタのすくつですわ。
まずこれが大間違い、かつ大いなる福音の誘いだったのだが、その社会不適合者で作った雪だるまみたいな専門学校は、大阪は心斎橋という、リア充にあふれたオシャクソな街の真っただ中にあったんですね。東京なら渋谷みたいな。
清く正しいパソコンオタの私は当然ながら、授業が終わったら毎日日本橋まで歩いて遊びに行くわけ。毒の沼みたいにSAN値を削ってくる、手をつないだカップルで一面満ち満ちた大阪ミナミのメインストリートのアーケード街を通って。
カワイイかっこいいオシャレなファッションのイケメン美人チャラ男ギャルの大海に、自分一人、お母さんの買ってきたクソダサい服着てモッサモサの黒髪にダサい眼鏡かけてダサいスニーカー履いてダサい鞄持ってるわけ。道行く人々を直視できるわけがない。ずーーっと下向いて地面見て歩くでしょ。
それはもちろん行き帰りの電車もそうで、向かい座る女子たちが楽しそうにキャッキャしてるの、どう考えても俺がクソダサくてクソブサいことを笑ってるじゃないですか。つまりそういう精神状態なんですよ。心当たりある人も結構いると思うけど。
クソダサくてクソブサくて怠惰でどこまでも無価値な自分が、誰からも虐げられ嘲笑される存在であることを疑う余地はなかった。
誰もかれもがこちらを笑っていて、だからせめて自分にできる精一杯の抵抗が、目線を下にやって彼らを自分の視界にいれないことだった。
そんな死んだほうがいいような生活を送っていたある日、本当になんのきっかけもなく、なんでそんなことを思ったのか今でもわからない、それこそニュートンリンゴのようなもので、ふと思ったんですね。「俺すっげ地面見て歩いてる」って。自分でも気づいてなかったんですね。今でこそ当時を振り返って冷静に分析したりしてるけど。
そしたらなんかすごい視界が狭いんですよ。だって視界に地面と、自分の爪先と、他人の足しか映ってないんですよ。お前どんだけうなだれてんねん。競馬で全財産スったおっさんか。そうするともうなんか首がすごい重い。だってめっちゃ前屈してるし当たり前。肩とか超凝るじゃん。そういえば、上を向いて歩こうとかいう歌とかあるし、よくよく思い出すと親にも「しゃきっと顔上げて歩きなさい」とか言われたことあるような気がするなあ~~、とか思い出して、ふと顔を上げてみたわけ。
その瞬間、ブワーーーーーって世界が広がって、すごい衝撃を受けたんですね。なんか人の顔とか見えるし、さらにその上、人の頭の上は何にもなくて、空気がいっぱいある。心斎橋とか結構人多いので、下向いて歩いてる分にはほんと人口密度はんぱないんですよ。でもちょっと視線を上げれば、地上2メートル地点はスカスカで、すごい遠くまで見通せる。空とか超広いし。こんなに世界広いのに、なんでわざわざこんな狭い世界に生きてたのか謎。
で、ちょっと余裕がでたので周囲を見回してみたら、誰も俺のことなんて見てないんですよ。そんなクソどうでもいいダサいクソオタとか注目して嘲笑する価値もないわけ。世の中のほとんどの人は、自分の楽しい人生を送るので必死。キモオタ見てるヒマがあるなら恋人の顔見るわけ。
あ、なーんだ、俺のことなんて誰も見てないじゃん。って得心して、そこでさらに枷が解けたんですね。常に周囲に監視され嘲笑される檻に閉じ込められているという幻想。
とりあえず、自分の顔を上げて周囲の人の顔をチラ見するだけで、一方的に監視されている関係から、いつでも互いを見ることができる対等の関係になる。
もちろん、他人が自分を監視、嘲笑しているなんてのは完全に幻想なんだけど、自分が下を向いて目を背けることで、一方的に他人がこちらを見るという構図をわざわざ自分から現実に作り出してるんですね。こういうのも自尊心低いやつの悪循環ですね。
結局、この事件がきっかけになって、全般的に物事をポジティブに考えるようになった私は、片思いした女の子と一緒に歩くのが恥ずかしい服装をなんとかしようと同級生の女子に頭下げて全身コーデしてもらい、それがきっかけでオシャクソになったりするのでした。めでたしめでたし。
今でも街を歩くときは、常に目線を高く維持するように意識している。道行く人の顔を見るけど、誰もこっちなんか見てない。これはもう実も蓋もない話だけど、人間は一方的に他人に見られることにとてもストレスを感じる。逆に、自分が一方的に他人を見ている状況だととても安心する。これたぶん、マズローの欲求のうち下から二段目の安全欲求ってやつですね。
そういうわけで、自意識過剰のクソ非コミュどもはとりあえず顔上げたら人生なんぼかよくなると思います。
あと、見た目は努力改善できるので、さっさとオシャクソになってコンプ捨てたほうがいいです。とりあえず色々捗る。そもそもオシャレってのはブサメンのためにあるんですよ。イケメンは雑巾着てもイケメンなわけで、顔がしょうがないから服で誤魔化すんだよ!
車がこない信号を待つ意味
東京都中央区で働いている。東京都中央区というと、これだけ日本が落ちぶれてもいまだ世界ナンバーワン都市圏である東京都市圏の中心地である東京都のさらに中心部というすごい場所である。そんなすごい場所に生活している人たちは皆一様にハイスペックで善良でモラルが高い。私を除いて。
駅の出口から事務所までは徒歩2〜3分。とても近くて便利。その間に小さな信号が2つある。まいばすけっとに寄って朝ごはんを買うと信号は4つに増える。朝の出勤、昼休みの行き帰り、夜の退勤と、おおむね1日にこれらの信号を2往復ほどするのだが、そのほとんど、8割がたを信号無視している。こんな大人にはならないほうがいいです。私以外のほとんど、9割9分くらいの人は信号を守っているので、その中をさっさと信号無視して歩いていく私は、彼らに異質な目で見られている。無言の同調圧力を感じる。
にもかかわらず、私はいっこうに信号無視をやめる気配がない。もちろん理由がある。無駄な時間を過ごしたくないから。
やっぱりこういう価値観というのは子供の頃の親の教育というものが大きくて、父親はいつも「車が来てなかったら渡ってもいい、ほんまはあかんけどな」と言っていたので、私は常々そうしてきた、というのが単純に言えばそれだけなのだが、いいかげん三十路も超えていい大人なので、さすがに親の教育のせいにするのもどうかということで、一応自分なりに噛み砕いて考え直した結果、やはり明確な意思をもって信号無視を続けている。
仮に私が信号無視をしているときに通行人に引き止められ「こら信号無視すんな」と言われたとして、「すいません、今家族が交通事故にあって救急車で運ばれたとの連絡があって、重症で命が危ないとのことなので、信号を待ってる余裕がないんです、一刻も早く行かなければならないんです」と言えば、おそらくほとんどの人は「そうか、じゃあしょうがない」と行かせてくれるのではないかと思う。ごく一部の人はそれでも融通がきかず許してくれないかもしれないが、多分そんな人は常に信号無視をすることをポリシーとしている人と同じくらい少ないと思う。
ここまで脳内でシミュレートして、おかしいな、と思ったのである。交通事故で重症で死にかけの家族は信号を待った数十秒1分のせいで死に目に会えないかもしれないが、いつ死ぬか分からないのは今現在健康な私だって、信号を守っている人だって同じである。確実に言えるのは、車のこない信号を待つということは、人間にとって最も貴重な財産である有限の人生をドブに捨てているということだ。つまり、「こら信号無視すんな」「すいません、私はいつ死ぬかわからないので、信号を待ってる余裕がないんです、一刻も早く行かなければならないんです」ということである。ただし、実際にそんなことを言うとちょっとやばい人だと思われるので気をつけたい。堂々と信号無視してる時点ですでにやばいんですけど。
たぶん私は20年、30年後にまだ生きていたら、若いころにああしたらよかった、こうしたらよかった、みたいな後悔を一生懸命記憶からほじくりかえして嘆くことになると思う。もし今、ルールだから、というだけの理由で、集団の同調圧力があるから、というだけの理由で、私の人生になんの係りもないよくわからない人によく思われたいためだけに信号を守っていたとしたら、老後に私がやることは無駄に立ち尽くしていた時間の合計を計算して後悔することである。間違いない。その計算の時間と後悔の時間もまた勿体無い。
そんな無駄な時間があるなら、椅子に座ってパソコンでしょうもないまとめサイトを巡回しながらお茶やら酒でも飲んでた方が1万倍マシであある。どちらも等しく無駄な時間ではあるし、そもそも仏教的には人生などなんの価値もない無意味なものではあるけれども、どうせ無駄に時間を費やすのなら、自己目的のために使うべきである。であるから、この文章の論旨は、社会のルールを守ることに愉悦を覚える人に対しては適用できない。
p.s.
父親には、上記のようなことに加えて、常日頃から「自分で考えて行動しろ」と教わったので、私もそうするかなと思います。しっかり左右を確認して信号無視するのは、左右を確認せずぼーっとした状態で青信号を渡るより安全かと思います。これは信号にとどまらず全てにおいてそうですね > id:minoru0707
通勤でエレベーターを利用するときの考察
普通の袋ラーメンをめっちゃおいしく作る方法
おいしい袋ラーメンを作るのはめっちゃ簡単です。
1)麺を味見する
「まだ固くて食べごろじゃない」と「そろそろ食べれる固さ」の間くらいでで火を止めるのがよいです。口にするまで伸び続けるのでね。
大事なのは味見です。
鍋から麺を1本箸で掬って食べます。まともなラーメン屋さんのキッチンでは必ずそうします。まともなラーメン屋さんではゆで時間はすべて決まっているのですが、やはり気温湿度お湯の温度で若干差が出るので、わかりきってても最後の確認として味見をします。
2)新しいお湯でスープを作る
茹でたお湯は捨ててください。丼に入れるのは引き上げた麺だけです。
そこに袋入りスープをあけて、新しいお湯を入れてください。全然味が違います。
まともなラーメン屋さんでは、めんを茹でるお湯とスープは別物です。麺をゆでたお湯でスープを入れるお店とか見たことない。
以上、2点だけ。
高校時代にラーメン屋でバイトした経験をもとに開発したやりかたですが、大変役立っています。
ちなみに、最近オススメなのは、セブンプレミアムの「金の麺」です。1袋80円くらいなのにめっちゃおいしいです。
http://www.7netshopping.jp/food/detail/-/accd/2110288817/
高かったけど美味しかったのは、藤原製麺の「本場北海ホタテバター風味醤油ラーメン」。
なお寿司は夏コミ本完成まで禁止のため特にありません。
同人誌の部数のきめかた